時折のことば 2023/04/02

カスタネダがドン・ファンと知り合った最初のころ、
カスタネダは彼の親族関係や系譜に関する、
文化人類的な調査の項目をたくさん用意し、
ひとつひとつチェックしていこうとする。
しかしこの企ては「わしには履歴なんぞないのさ。」
というドン・ファンの一言ではぐらかされてしまう。
「履歴を消しちまうことがベストだ。そうすれば他人のわずらわしい考えから自由になれるからな」

 そんなことがどうしてできるのかというカスタネダの問いにたいして、
「少しずつバランスをとって切りとってゆくのさ。」とドン・ファンは答える。
「少しずつ自分のまわりに煙幕をはらにゃいかんな。確かなこととかリアルなこっとかがいっさいなくなるまで、自分のまわりにあるものをみんな消さねばならんのだ。」

真木悠介『気流の鳴る音』

大学1年生の頃、のちの指導教官の研究室に足繫く(といっても1年間で3、4回程度だったように思う)通っていた。研究熱心だったからではない、先生熱心だったのだ。

たまたま推薦入試の面接官であったかの人は入学式後の学部のオリエンテーションで司会進行を行っていた。その姿を見かけた時に「この人のことを好きになってはいけないだろうけど、好きにならざるえないだろうな」という諦念に近い予感を覚え、そしてその日の夜、夢のなかで先生を見かけたことでそれは大学生活の中心、あるいは、核心とも言えるような現実となった。

そこから4年間、先生に懸けた(賭けた)日々を送るのだが、1年生の時は、正攻法で、あるいは怖いものなしで、先生の研究室を何回か訪問して、たくさんの質問を投げかけた。カスタネダがドン・ファンへ「調査の項目をたくさん用意」したように。

私は先生になりなかった。先生と同じものを食べ、同じものを読み、同じものを見て、同じところに行き、同じものを持てば、先生に知れるのだと、先生をなれるのだと信じて疑わなかった、何も。だから、先生を形づくると思われた固有名詞を集めることに夢中になった。そして、何度目かの訪問の際に先生に「貴方は質問が下手」と返答され、それ以来一人で研究室を伺うことはほとんどなかったように思う。

あの時、「煙幕」を纏っているように見えた先生を、私は自分が理解可能な「履歴」(インターネットで検索すればヒットするような固有名詞など)に落とし込むことで、自分の枠組みの中で先生を捉えようとしていた。

それがそのひとを真に知ることにはならないことは、今でも自戒にしている。そして、今でもひとを真に知ることができるのだろうかと思いながらも、ひとを真に知ろうと試行錯誤している、そんな別れと出逢いの季節だ。