時折のことば 2023/02/14

「今、南東アラスカの海を旅しています。」

星野道夫『旅をする木』

おかゆちゃんの「消費生活」に触発されて、私も今日から「時折のことば」を始めます。

朝日新聞朝刊で連載されている鷲田清一さんの「折々のことば」のように、生活の中で出逢った言葉を拾いあげて、この場に感じたこと、考えたことと共に記録していきたいと思います。

「時折」という言葉の意味をインターネットで検索してみると、「頻度がかなり低いさま。ときどき。ときたま。たまに。」(データ提供元: Oxford Languages)とありました。本家のように毎朝更新とはいかないものの、始めてみます。

今日は星野道夫さんの『旅をする木』というエッセイ集を読み始めた。少し前に会社の先輩に、私が外国に住む人のエッセイを好んで読むことを話したところ、教えてもらった本だった。

この本をきっかけにして、初めて星野さんのこと──大学生の頃にアラスカに惚れ込んで以来、アラスカに移住して、そこを拠点として写真家として活躍されていた方──を知った。1996年、撮影中に熊に襲われて亡くなってしまったそうだ。

今まで知らない人だった、知ったときにはもうこの世にはいなかった星野さん。遠く離れた存在であるはずの星野さんを2023年の今、鮮明な温もりを持って生の存在として感じている。

それは、この本に収録されているエッセイそれぞれの書き出しが冒頭に引用した言葉のように、「今」から始まるからだ。「今」という言葉から始まることで、どんなに時代が、場所が離れていたとしても、エッセイを書いていた星野さんの「今」と、そのエッセイを読む私が生きている「今」をつなげてしまう力が生まれていると思う。

外国に住む人のエッセイはどれも私を今いる場所から、その人が住む外国に、その人が生きていた時代に連れて行ってくれるものだが、それは作者と自分を重ね合わせる「追体験」という仕方で行われていると思う。一方で、星野さんの「今」という言葉から始まるエッセイは、追体験というより「交信」という仕方で、星野さんが今見ている世界を私に伝えてもらっているように感じる。

「本の書き出しは重要だ、なぜならそこにその本のエッセンスが詰まっているから」と大学の恩師はよく言っていたものだが、私は「今」という一文字に星野さんという人が詰まっていると感じたのだった。