2023年は映画レポートから

2023年が始まりました。初詣で凶末吉を引いたおかゆです。

「2ヶ月に1回は投稿する」と公言したのに、1年に1回という世界フィギュア大会と並ぶペースとなりました。あせあせ。

2023年、最初の記事はみそちゃんです。

「恋愛」という無色透明なレンズが色付けされたとき──映画「そばかす」鑑賞による思考の記録(レポート/みそ)

映画館に行くと、泣いても無敵な気がします。大人が号泣しても許されるというか。

まさに、「号泣する準備はできていた」というやつです。

今年は、もう少し投稿ペースを安定させたい!

2023年1月 寒雨が降る日に おかゆ

“Clamshell” START!

2022年4月1日、文筆集団「Clamshell」によるWebサイト、「Clamshell」が始まりました。

記念すべき第1回のコンテンツは以下の通りです。

 

『魚の骨のようなもの』(短編エッセイ集/おかゆ)

『「すき間」としてのイッセイミヤケ論』(エッセイ/みそ)

『「偶然と想像」ではなく、「想像と偶然」』(エッセイ/みそ)

 

2ヶ月に1回のペースで、エッセイや小論などを投稿していく予定です。

気が遠くなるような投稿ペースですが、会社員2人でお題を出し合い、レビューをし合い、「読んで良かったなあ」と思えるような文章を投稿していけたらと思っております。

 

2022年4月 桜が咲く頃に おかゆ

魚の骨のようなもの

鉄の味

 小説の主人公が顔を殴られた時に「鉄の味が口いっぱいに広がった」なんていう描写があったりするが、「これは鉄だよ」と言われながらご飯を食べたことがあるわけでもないのに、「あーあの味ね」となんとなく想像がつくから不思議だ。

 私が物心ついてから最初に「鉄の味」を認識したのは、小学生の頃に食べたスーパーの「カボチャサラダ」だった。カボチャのほかに、レーズン、ナッツなどが入った黄色いペースト状のサラダは、まるでお菓子のクリームのようで、食卓の小鉢にそれが初めて盛られた時はなんて美味しそうなんだと目をキラキラさせた。

 ワクワクしながらそれを食べると、お菓子のような見た目とは裏腹にツーンとした苦い味が先行して口の中に広がった。それは、錆びた鉄棒を想起させる味だった。母に「鉄の味しない?」と言ってみたが、全く同意は得られず、その後も定期的に「鉄のカボチャサラダ」は我が家の食卓に並んだ。

 今となっては、あのカボチャサラダの何が「鉄の味」だったのかは思い出せないが、未だにカボチャサラダを見ると鉄の味を感じないように鼻を摘まみながら食べた経験が蘇る。

 

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「偶然と想像」ではなく、「想像と偶然」

※この文では濱口竜介監督「偶然と想像」の結末に関する記述を含みます。

濱口竜介監督の『偶然と想像』という映画がある。3つの短編で構成させるこの映画を貫く主題は題名通り「偶然と想像」だ。思いがけない「偶然」の出来事をきっかけにして、起こるはずのなかったその先を「想像」する。

この映画のパンフレットに掲載されている濱口監督と多分に影響を受けた映画監督エリック・ロメールと共に仕事をしていたマリー・ステファンの対談の中で、濱口監督は以下のように語っている。

「偶然というものが起きると、そこには必ず「もしあのときそうしていなかったら」という発想が生まれます。つまり、何かが「起きた」世界と「起こらなかった」世界が共に見えてくる。偶然と想像力はどこか繋がっているのです。」

濱口竜介、『偶然と想像』、2022、p.14(パンフレット)
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「すき間」としてのイッセイミヤケ論

ファッションの/好みが少し/変わるとき/生き方の好み/微妙に変わる(松田 わこ)

『朝日新聞』2022年2月27日朝刊「朝日歌壇」

1,

思い返せば、ファッションの好みが瞬く間に変わってしまう人間だった。

 自分で自分の服装を選び始めたのは中学生の頃からだったが、その頃から大学卒業まで私の服装は毎年、いや毎シーズンごとに変わっていたように思う。ショッピングセンターで母を連れ回しながら5時間かけて選んだ1着が1年後には陽の目を見ないということはざらにあった。

 「MAJESTICLEGON」のような花柄とレースで構成された可憐なものから「179/WG NICOLE CLUB」のようなアクティブでボーイッシュなもの、はたまた「ZARA」のような前衛的で先鋭的なものまで、私の服装の変遷はかなり多様だ。

では、会社員になって労働時間を対価として賃金をもらう身になった現在、その給与を一番使っているものは何か、と問われれば迷わず「イッセイミヤケ」と即答できる。

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