消費生活_20230215

25歳 女性|会社員(SE)|父、母と同居|大学時代にメディアにおける家族表象をテーマに卒論を執筆。卒業後、システム開発会社に入社。昨年末に体調を崩し現在は休職中。

好きな「ちはやふる」のキャラクター:真島太一

今日は病院の日。また診断書をもらってしまった。

安心する気持ちと、「3ヶ月も休職して社会復帰できるのか」という不安が入り交じっている。

本当はカフェとかで作業をしようと思ってノートパソコンを持って出てきたけど、何も考えたくないし、どこかでちゃんと食べるのも面倒くさかった。

本当は(逃避行動は)あまり良くないなとわかってはいるけれど、コンビニで軽いご飯を買い、ネットカフェで漫画を読むことにした。

コンビニでご飯(というかおにぎり)を買うのは久々だった。

冷えた陳列棚の上の方に、キチンと並んでいるおにぎりを見ると、会社のことを思い出してしまった。

会社に行っていた時は、会社近くのコンビニでとり五目か和風ツナマヨばかり買っていた。具があるおにぎりで、比較的安かったから。この前レシートの整理をしていたら、そんな何も考えていない、短いコンビニのレシートがたくさん出てきた。あー。

ネットカフェでは「ちはやふる」の最終巻の50巻を遂に読んだ。

連載で最終話が載った号が発売されたその日に、ネタバレをTwitterで食らっていたのでおおかた内容は知っていた。

50巻を読み終えた時、素直に思ったのは「そんなに炎上するほどか?」だった。

ちはやふるの最終話は軽く炎上していた(炎上したせいでネタバレを食らった)。そのおおかたは「千早が太一を選んだ理由がほとんど描かれておらず、今までの新(あらた)路線はなんだったんだ」というもの。

「ちはやふる」は、主人公の千早以外の人たちの物語もよく書き込まれているのに、「最後に来てなぜそうなった」という読者の気持ちもまあわからなくはない。

千早が太一に気持ちを言おうと思ったのは、太一が東大ではない大学を受験したと知って、遠くに行ってしまう、と実感したのが起因だった。

これめちゃよくある。少女マンガの王道、「今まで側に居た人が遠くに行ってしまうと知って本当の気持ちに気付く」というやつ。別に良いじゃん、なんでダメなの。

最終巻まで読んで、「『ちはやふる』って結局どんな話だったんだろう」と考えてみた。

私の「ちはやふる」で好きなシーンは、4つある。

1つめは、伝説のクイーン、猪熊遙が(かるたの)育休から復帰した大会で、「母親なのにかるたを続けるべきか」と悩み、着物を着ているため泣き出す我が子に授乳できず泣き出しそうになったシーン。

呉服屋の大江奏のお母さんが、「身八つ口」から授乳できるよ、とアドバイスし遥が気持ちを持ち直す、というあのコマは最初読んだときから大好きなシーン。

2つめは、名人戦挑戦者決定戦で、新と太一が戦い、最後二人が抱き合うシーン。これは泣けた。新と太一の長年の確執がほどけて、太一推しとしてはハンカチなしでは読めないシーンである。

3つめは、クイーン戦で千早が休憩中に頭痛を訴えたときに、顧問の宮内先生(テニス部の顧問もしていた)が冷えピタや2Lペットボトルを千早に抱えさせて「大丈夫よ」と言ったシーン。ここに来て体育会系の女帝がなぜ顧問になったのか、伏線回収すら感じたぜ。

4つめは、クイーン戦後、千早の姉、千歳が千早のクイーン戦を中継で最後まで見て、「うちの妹、世界一だよ、すごいじゃん」的なことを言って、千早がうなだれたシーン。

小学生の頃は千歳の夢を「自分の夢」と言っていた千早が、自分の夢を持ちそれに向かって突き進んでいく姿を千歳は心から応援ができず、千早もそれを感じ取っていた。姉妹の確執もまたここでほどけて、ここでジエンドでも私的にはモーマンタイだった。

こうして並べてみると、「クイーンになる!」とぶれない軸を持った千早と、その周りに居る人たちが競技かるたの情熱と百人一首の歌を媒介して救い救われる話だったのかなあと思う。

どっかの評論家気取りのライターみたいなことを言ってしまった。だせ~。

今日は諸事情により写真と支出表はお休みです☆